ダーウィンのこと 3 トラサタ水星
- 2015.11.30 Monday
- 08:24
みねんこです。チャールズ・ダーウィンのwikiと出生図の感想1(http://nonakaba.jugem.jp/?eid=60)、2(http://nonakaba.jugem.jp/?eid=61)のつづきです。
1831年、ダーウィン22歳のときに海軍の観測船ビーグル号に乗り込みます。恩師の紹介なのですが艦上に正式な博物学者は別におり、艦長の会話相手のための客人という立場で乗り込むので軍規のタテ系統に縛られず、観測課題も持たないかなり自由な立場であったようです。しかし航海の早いうちに正式な博物学者が下船してしまい、非公式ながらダーウィンが後任を務めます。南米ブラジルからフォークランド諸島へ南下、マゼラン海峡を通過し、ガラパゴス諸島、ニュージーランドへとまわります。
”ダーウィンはこの航海のはじめには自分を博物学の素人と考えており、何かの役に立てるとは思っていなかった。しかし航海の途中で受け取った(恩師)ヘンズローの手紙から、ロンドンの博物学者は自分の標本採集に期待していると知り自信を持った。”
”この航海を通して、南半球各地の動物相や植物相の違いから、種が独立して創られ、それ以来不変の存在だとは考えられないと感じるようになった。”
彼には野心や気負いがなかったみたいです。そもそも進化を調べるのが目的ではなく、南洋の珍しいものを調査してたくさん持ち帰ってこいよ、くらいの観測だったのでしょうね。オーストラリア辺りまで来たころに自分の博学的名声が高まっていることを知らされます。各所の標本や調査報告、独自の考察、最先端からいろいろ書き送ったものへの期待や評価コミコミですね。
さて、ガラパゴス諸島の各所でゾウガメやイグアナに微妙な違いがあることについて、現地の総督が「詳しい人ならすぐに変種を見分ける」と言うのを聞いてはじめて、彼はあちこちに様々な変種が分布することに気づいたのだそうです。
”ダーウィンは、航海中にライエルの『地質学原理』を読み、地層がわずかな作用を長い時間累積させて変化するように、動植物にもわずかな変化があり、長い時間によって蓄積されうるのではないか、また大陸の変化によって、新しい生息地ができて、生物がその変化に適応しうるのではないかという思想を抱くに至った。”
ダーウィンはもともとは地質学者なんです。地層が長い時間をかけて出来上がり、大陸もゆっくり変化するというイメージを生物にも当てはめてみたらどうなんだ?と考えたようです。このへんで3室のステリウム、北半球の自分なりの思考や知力を試行錯誤しながら鍛える領域の強調がイメージされます。自分がすでに見聞きしたさまざまな知識と、新しく得た多くの情報を組み合わせて独自の見立てを考える。
魚座の水星(冥王星とゆるく合、海王星土星とスクエア、天王星とトライン)、魚座の木星(月とセクスタイル)です。トランスサタニアンのかかわりがエリートコースで正統派じゃない道筋で、自由さもあるけどそのぶん一般人とは違った苦労がある感じ。人には理解できない(ゆえに言葉に表現しがたい)何かがあったのかしら。彼の思考法やコミュニケーションに具体的にどんな特徴があったのか気になります。聞いてみたいです(誰に?)。
独創的で大胆な発想でありながら、いい加減な仮説じゃないのは想像力だけじゃなくて、観察力、注意力、その他いろいろなんでしょう。変な野心で色が付かず純粋な興味関心であるというのも3室の大きな要素かと思いました。
ああ、また太陽まで届かなかった。
(つづきます)
■wikiとチャートはこちらです。
wiki(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3)
出生図(http://www.astrotheme.com/celestar/portrait.php?clef=sSa2zR6e9xxA&info=1)
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1831年、ダーウィン22歳のときに海軍の観測船ビーグル号に乗り込みます。恩師の紹介なのですが艦上に正式な博物学者は別におり、艦長の会話相手のための客人という立場で乗り込むので軍規のタテ系統に縛られず、観測課題も持たないかなり自由な立場であったようです。しかし航海の早いうちに正式な博物学者が下船してしまい、非公式ながらダーウィンが後任を務めます。南米ブラジルからフォークランド諸島へ南下、マゼラン海峡を通過し、ガラパゴス諸島、ニュージーランドへとまわります。
”ダーウィンはこの航海のはじめには自分を博物学の素人と考えており、何かの役に立てるとは思っていなかった。しかし航海の途中で受け取った(恩師)ヘンズローの手紙から、ロンドンの博物学者は自分の標本採集に期待していると知り自信を持った。”
”この航海を通して、南半球各地の動物相や植物相の違いから、種が独立して創られ、それ以来不変の存在だとは考えられないと感じるようになった。”
彼には野心や気負いがなかったみたいです。そもそも進化を調べるのが目的ではなく、南洋の珍しいものを調査してたくさん持ち帰ってこいよ、くらいの観測だったのでしょうね。オーストラリア辺りまで来たころに自分の博学的名声が高まっていることを知らされます。各所の標本や調査報告、独自の考察、最先端からいろいろ書き送ったものへの期待や評価コミコミですね。
さて、ガラパゴス諸島の各所でゾウガメやイグアナに微妙な違いがあることについて、現地の総督が「詳しい人ならすぐに変種を見分ける」と言うのを聞いてはじめて、彼はあちこちに様々な変種が分布することに気づいたのだそうです。
”ダーウィンは、航海中にライエルの『地質学原理』を読み、地層がわずかな作用を長い時間累積させて変化するように、動植物にもわずかな変化があり、長い時間によって蓄積されうるのではないか、また大陸の変化によって、新しい生息地ができて、生物がその変化に適応しうるのではないかという思想を抱くに至った。”
ダーウィンはもともとは地質学者なんです。地層が長い時間をかけて出来上がり、大陸もゆっくり変化するというイメージを生物にも当てはめてみたらどうなんだ?と考えたようです。このへんで3室のステリウム、北半球の自分なりの思考や知力を試行錯誤しながら鍛える領域の強調がイメージされます。自分がすでに見聞きしたさまざまな知識と、新しく得た多くの情報を組み合わせて独自の見立てを考える。
魚座の水星(冥王星とゆるく合、海王星土星とスクエア、天王星とトライン)、魚座の木星(月とセクスタイル)です。トランスサタニアンのかかわりがエリートコースで正統派じゃない道筋で、自由さもあるけどそのぶん一般人とは違った苦労がある感じ。人には理解できない(ゆえに言葉に表現しがたい)何かがあったのかしら。彼の思考法やコミュニケーションに具体的にどんな特徴があったのか気になります。聞いてみたいです(誰に?)。
独創的で大胆な発想でありながら、いい加減な仮説じゃないのは想像力だけじゃなくて、観察力、注意力、その他いろいろなんでしょう。変な野心で色が付かず純粋な興味関心であるというのも3室の大きな要素かと思いました。
ああ、また太陽まで届かなかった。
(つづきます)
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wiki(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3)
出生図(http://www.astrotheme.com/celestar/portrait.php?clef=sSa2zR6e9xxA&info=1)
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