カイロンと水星のスクエア 内なる癒し手の存在に気づくヒント
- 2018.06.15 Friday
- 19:09
みねんこです。毎朝、起きたときの夢の印象を書くレッスン中。5月上旬(長野リトリートの参加前まで)は1時半〜3時半に夢見て起きることが続いたのですが、その後なぜか夜中には夢で起きなくなりました。最近は明け方の夢だけです。
昨日6/14早朝が双子座の新月でした。4時台、新月より数十分前に夢で起きました。夢チャートのアセンダントは双子座、新月は1室に上昇中でアセンから3度のところに迫っています。
賑やかな夢でいつもより長めでした。キャンパス風のところで何か活気のあるディスカッションをしている。食事の風景、白黒の小さな犬に、皿のものを混ぜたようなものを分け与える。
そんなところで目覚めました。何を話していたかは憶えていませんが、説明を熱心にしていた感触が残ります。夢うつつで書いたおぼろなメモ文字には「夢を告げる」と書いてあります。もうこのメッセージ自体がナゾですww
とりあえずこんな感じで、半分寝ぼけて鉛筆を持って、浮かんだ二言三言を書き残せるようになりました。
新月では、蟹座2度の水星はカイロンと正確なスクエアにありました。
「傷ついた癒し手・ヒーラー」といわれる外惑星カイロンとのコンタクトを、思考やコミュニケーション担当の水星はどう受け止めるだろうか。
カイロンとそのリターンについては長野リトリートの2日目のブライアン先生のレクチャーでたくさんのお話しがありました。
「癒し得ない傷や痛みを持ちながら生きる」
不死の部分に深い傷を負った半神のカイロンは多くの知恵や技芸を持つ癒し手でありながら、自分の痛みだけはどうすることもできない。
how can live with my illness
辛さ、病、別れ、悲しみ、人生に痛みが伴うことに自覚的になることを通しての成熟、傷に目を向けて立ち止まるだけではなく、残りの使えるものをどう活かすかを深めていく。
使えるものをどう活かそうとしても、自分の治癒だけはかなわない。
そういった不完全さを持ちながら生き、その傷や痛みのために死ぬこともかなわない。
傷ついたカイロンが出生図の位置に戻るリターン(50歳)は、最後の発達段階に入る、次の扉へ行くイニシエーションであり、その先にどう「よく生きる」かがある。
いったん自分の苦しみ・悲しみを否定せずに受け入れる(死・冥界)、すると新しい考え・息吹を得る(湧き出てくる)、頭での理解では届くことのない、受容的な自覚の様子。形は違えどこうした痛みが多くの人にあることに自覚的になる。
痛みのメッセージや経験を知恵に変える。
癒しの創造性は、それまで自分が排除していた何かを通して(活かして)非言語のコミュニケーションを行う可能性ではないでしょうか。
セミナーのノートに走り書きしたメモ↑↑は、夢メモと同じ感じでグニャグニャですww
ケイローン(カイロン)の背に乗ったアキレウス ドラクロワ画(wikiより)
半人半馬の怪物ケンタウロス族は一般に粗暴で野蛮だが
ケイローンは例外的な性質、様々な術を学びのちに教え手となり賢者と称される
メモを読み返すとカイロン・リターンには「よく生きる」の意味合いの変容を通じて、自分と分断のあったモノや状況のあいだに新しい橋がかけられるイメージです。カイロン・リターンは50歳。その先に進むのに、治らない(それゆえにもう無理だし終わりだ)と思っていたものとどんな対話をするか。
いっぽう周期の短い水星と50年周期のカイロンのコンタクトは、年に数回、様々な角度で起こります。
自分の中にある痛みを他者存在を通して知るような出来事かもしれません。
自分の一部に気づく機会があっても、取り除きたい、混ざり合いたくない、認めたくない、それが自然な反応なのかもしれません。それは自分の傷ではない、わたしからできるだけ遠ざけたいもの。
また、痛みや悲しみがあるのに、それは自分にとって大したことがないという振りをするような鈍感さや感覚のマヒ、慣れ切って無反応というのはカイロンの痛みの否定です。(状況や環境がマヒや無感覚の形成に影響しているかもしれません)
あるいは自分の傷について周囲が無関心だということへの怒りかもしれない。納得できない、腹立ってムカつく。
天体カイロンのめぐりが無くても、できるだけ痛みを小さくするよう、和らげるように本能的に動くものです。
自然に傷や痛みから自分を守ろうとするのが水星のナチュラルな働き(わざわざ損しに行かない)であるとしたら、このトランジットでは自己防衛の反応が高まるかもしれませんね。普段無意識にやっていることに意識的になれる場面があると言い換えてもいい。(ただし若干ムカついたり不安が増したり)
水星は現在の関心事です。原因を突き止めそれを取り除き問題の無い状態に戻したい。これも本能的に求めてしまうところです。
カイロンの癒しの創造性は、取り除かずに受け入れることから始まると言われます。もし人に預けている状態であれば、いったん自分サイドに取り戻す(押し返される)段階も想像されます。
人びとの傷に多く関わっているうちに、自分の傷が後回しになってしまう場合はどうでしょうか。人を癒すことで自分自身の傷も自然に癒えていく、などと言ったりしますが、似ていても、根っこが同じかどうかは分かりません。癒しの活動が真の癒しにつながらない障壁がある可能性です。
相手たちの痛みに共感して、自己防衛の原理に相容れない言動をするという変則的な出かたもあるでしょう。
たまたま痛みや辛さの場面に立ち会うことは、日常的にはよくあることなのですが、このトランジットのもとでは、よくあることの連続のどこかで普段から持っている違和感に意識的になったりしそうです。
社会の常識や倫理観と馴染まない衝動、話しても分かり合えないような絶望の濃いものとなる可能性もあるでしょう。少数の特異な存在という神話のカイロンの特徴で。
こういう孤独の時間と深部の癒しも関係するはずです。
ブライアン先生のレクチャーでは、癒し手・ヒーラーのシンボルとなるカイロンはその人だけが到達する健全さ(全てを健やかなイメージで受け入れ包むようなあり方)への旅程だというイメージを受け取りました。
太陽のポジティブな創造性と対になる個性化のシンボルが外惑星の天王星なら、カイロンは一般常識的にはネガティブに分類されるものを通しての個性化のシンボルではないでしょうか。自分だけの悩み、肩代わりの利かない悩み、それも唯一無二のユニークさです。
カイロンが象徴する痛みを人生サイクルを通して理解する。長い。カイロンを通して人生の後半にもたらされる統合は、個人領域の問題だけではないだろう。
周期性がある天体の動きが教えてくれることは「癒し得ない傷や痛みを持ちながら生きる」という占星術が培ってきた知の象徴です。その意味を体験している人はどの時代にもたくさんいたとしても、科学的に、歴史的に書き残されることはあまりなく。土星木星のシステム化された領域に記されない領域で、カイロンと共に社会や意識も変化している。
これが占星術の面白いところだと思います。どっちに出るかは分からない、理屈や確率だけじゃないから。
占星術のシンボルのなかには時期読みでいつどんなアスペクトがあると予測できたとしても、それが50年後の自己理解の局面でどう効いてくるか、どの程度の大きさの出来事なのか、5年10年20年前もってピンポイントで知ることはできないものが多くあります。
水星とカイロンの瞬間的なコンタクトには、通じる人にはなぜか通じるという、不思議な感覚のあるコミュニケーションがあるかもしれません。何年か経って、今のハテナ??経験がカイロンの癒しのカギになるかもしれません。
トランジットのカイロンはいまわたしのMCにコンジャンクションです。長野リトリートの3日目がピークでした。夢うつつで書いたおぼろ文字のメモ(自分でも疑わしいww)を自分の一部として格納しようという不思議スイッチが入ったのはこのトランジットと関係ありそうです。
昔から継承されながらもなぜか正統な技能としては認知されないポジションにある代替療法や民間伝承はカイロンのシンボルとぴったりですね。占星術も夢解きも。
(おわり)
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20代の節目のこあ後悔を、最近、新たな形で自らほじくり出してしまいました。(始まりは楽しいことでした)
あらためて自分のダメさを思い知り、今後の人生を暗澹たる思いで思い巡らしてもいましたが、今だからこそ巡り合った傷であり、確かに得るものもあり、またそれを糧にして行かなければ、とぼんやり思い始めているところでした。
先生の話しでは、この時期に後悔の思いが浮上するのはそれを卒業するステップだと。もう10〜30年前のようには若くないので往時と同じトーンで情熱を燃やすのは誰だって難しいということを知って、その中途半端に見えるものを自分なりの取り組み経験値として、自分で意味づけるイメージでした。
外から見てたいへん成功して実績もあるバリバリな人でもこのリターンでは、いつまでこの調子で頑張り続けられるのか??と心配になり鬱状態を抱えることがあるそうです。
成功者が不安を話すと、そんなことない、だいじょうぶよ、贅沢な悩みだとか言われたりする。過去の実績があっても心の安定に役立たない、とても孤独な状態ですね。
それでもこの先まだ15年20年と生きていくわけで。
一度燃えカスになったところから小さい火種が復活するには、他人の評価や賞讃(あるいは他人の批判や条件付け)を離れて、自分自身に問う時間が必要だとおっしゃっていました。
問い方や、考え方からこれまでのクセを抜く必要がありそうですね。
こう考えると新しさに自分を慣れさせるための火星ワーク取り組みは、中年期にこそ必要かと。ユルユルとがんばろう。